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雨上がりに見る、本質的なコミュニケーション








雨上がり決死隊の解散動画を見て
同じ画面の中で
パラレルワールドが
繰り広げられているようで





正直痛々しくて
胸が苦しかった





どっちがいい、悪いというのは
本当にどうでもいい話なんだけど




もうどうやっても
宮迫さんのハートには届かないから
「コンビ解散」という手段で
色々な解放を起こそうとしている
ホトちゃんがいて


ハートから話すホトちゃんと
自分のハートにすら
触れられない宮迫さんとが
違う世界にいるようで






あ、これ知ってる






って思った

私と夫がいた世界だ、って







私達が今のようになれたのは

夫婦の崩壊



があったからで

破壊、再生、維持というのは
一定のリズムで回っていくものなんだと思う





ハートから話す
打算や駆け引きのない、本質の世界



悲しみ、嘆き、寂しさと同じだけ
喜び、至福、嬉しさも分かち合う



女性性が司る
感情や、今を味わうことの大切さは
私は夫から学んだんだ



多くの人が勘違いしているけど
女性性、男性性というのは
性別の話ではなくて
見えているレイヤーの数の話だ



沢山のレイヤーを同時に見てしまう私は
今いるレイヤーを味わえない



夫は逆に、今のレイヤーを
正面から見ることが得意だ







そんなふうに、雨上がりの二人は
見ているものが全く違うのだ




解散動画の中で、ふじもんが

「解散せなあかんことなんかな?
どうにかできへんかったんかな?
全部、あんたのせいですよ、宮迫さん
あんたのせいで
雨上がり無くなってしまうんですよ
どんだけ迷惑かけるんすか」


って言ってたけど
宮迫さんは多分一個もわからんのよ




見ているものが違うから

本質の世界にいないから







と、いろんなことを考えた日でした

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